2005年12月24日

少女は暫(しば)らく黙しつ

。けさより曇りたる空は、雨になりて、をりをり窓を打つ雫(しずく)、はらはらと音す。巨勢いふ。「王の狂人となりて、スタルンベルヒの湖に近き、ベルヒといふ城に遷(うつ)され玉ひしことは、きのふ新聞にて読みしが、さてはその頃よりかかる事ありしか。」
 少女は語を継(つ)ぎて。「王の繁華の地を嫌ひて、鄙(ひな)に住まひ、昼寝ねて夜起きたまふは、久しきほどの事なり。独逸(ドイツ)、仏蘭西(フランス)の戦(いくさ)ありし時、加特力(カトリック)派の国会に打勝ちて、普魯西(プロシヤ)方につきし、王が中年のいさをは、次第に暴政の噂(うわさ)に掩(おお)はれて、公けにこそ言ふものなけれ、陸軍大臣メルリンゲル、大蔵大臣リイデルなど、故なくして死刑に行はれむとしたるを、その筋にて秘めたるは、誰知らぬものなし。王の昼寝し玉ふときは、近衆(きんじゅう)みな却(しりぞ)けられしが、囈語(うわこと)にマリイといふこと、あまたたびいひたまふを聞きしもありといふ。我母の名もマリイといひき。望なき恋は、王の病を長ぜしにあらずや。母はかほばせ我に似たる処ありて、その美しさは宮の内にて類(たぐい)なかりきと聞きつ。」
 「父は間もなく病みて死にき。交(まじわり)広く、もの惜(おし)みせず、世事には極めて疎(うと)かりければ、家に遺財つゆばかりもなし。それよりダハハウエル街の北のはてに、裏屋の二階明きたりしを借りて住みしが、そこに遷りてより、母も病みぬ。かかる時にうつろふものは、人の心の花なり。数知らぬ苦しき事は、わが穉(おさな)き心に、早く世の人を憎ましめき。明(あく)る年の一月、謝肉祭の頃なりき、家財衣類なども売尽して、日々の烟(けぶり)も立てかぬるやうになりしかば、貧しき子供の群に入りてわれも菫花(すみれ)売ることを覚えつ。母のみまかる前、三日四日のほどを安く送りしは、おん身の賜(たまもの)なりき。」

立川風俗
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2005年12月23日

 窓(まど)の下(もと)なる小机

)は遂に晴れず。あはれ君がまことの身の上、苦しからずは聞かせ玉へ。」
 窓(まど)の下(もと)なる小机に、いま行李(こり)より出したる旧(ふる)き絵入新聞、遣(つか)ひさしたる油(あぶら)ゑの具(ぐ)の錫筒(すずづつ)、粗末なる烟管(キセル)にまだ巻烟草(まきタバコ)の端(はし)の残れるなど載せたるその片端に、巨勢はつら杖(づえ)つきたり。少女は前なる籐(とう)の椅子(いす)に腰かけて、語りいでぬ。
 「まづ何事よりか申さむ。この学校にて雛形の鑑札受くるときも、ハンスルといふ名にて通したれど、そは我真(まこと)の名にあらず。父はスタインバハとて、今の国王に愛(め)でられて、ひと時栄(さか)えし画工なりき。わが十二の時、王宮の冬園[#「冬園」の右に(ふゆその)、左に(ヴィンテルガルテン)とルビ、51-12]に夜会ありて、二親みな招かれぬ。宴(うたげ)闌(たけなわ)なる頃、国王見えざりければ、人々驚きて、移植(うつしう)ゑし熱帯草木(そうもく)いやが上に茂れる、硝子(ガラス)屋根の下、そこかここかと捜しもとめつ。園(その)の片隅にはタンダルヂニスが刻(きざ)める、ファウストと少女との名高き石像あり。わが父のそのあたりに来たりし時、胸裂(さ)くるやうなる声して、『助けて、助けて』と叫ぶものあり。声をしるべに、黄金(こがね)の穹窿(まるてんじょう)おほひたる、『キオスク』(四阿屋(あずまや))の戸口に立寄れば、周囲に茂れる椶櫚(しゅろ)の葉に、瓦斯燈(ガスとう)の光支へられたるが、濃き五色にて画きし、窓硝子を洩(も)りてさしこみ、薄暗くあやしげなる影をなしたる裡(うち)に、一人の女の逃げむとすまふを、ひかへたるは王なり。その女のおもて見し時の、父が心はいかなりけむ。かれは我母なりき。父はあまりの事に、しばしたゆたひしが、『許したまへ、陛下(へいか)』と叫びて、王を推倒(おしたお)しつ。そのひまに母は走りのきしが、不意を打たれて倒れし王は、起き上りて父に組付きぬ。肥(こ)えふとりて多力なる国王に、父はいかでか敵し得べき、組敷かれて、側(かたわら)なりし如露(じょろ)にてしたたか打たれぬ。この事知りて諌(いさ)めし、内閣の秘書官チイグレルは、ノイシュワンスタインなる塔に押籠(おしこ)めらるるはずなりしが、救ふ人ありて助けられき。われはその夜家にありて、二親の帰るを待ちしに、下女(はしため)来て父母帰り玉ひぬといふ。喜びて出迎ふれば、父舁(か)かれて帰り、母は我を抱きて泣きぬ。」
渋谷風俗
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2005年12月22日

一週ほど後(のち)の事なりき

エキステルが周旋にて、美術学校の「アトリエ」一間(ひとま)を巨勢に借されぬ。南に廊下ありて、北面の壁は硝子(ガラス)の大窓(おおまど)に半(なかば)を占められ、隣の間とのへだてには唯帆木綿(ほもめん)の幌(とばり)あるのみ。頃はみな月半ばなれど、旅立ちし諸生多く、隣に人もあらず、業(わざ)妨ぐべき憂(うれい)なきを喜びぬ。巨勢は画額の架[#「架」の右に(だい)、左に(スタッファージュ)とルビ、50-11]の前に立ちて、今入りし少女に「ロオレライ」の画を指さし示して、「君に聞かれしはこれなり。面白げに笑ひたはぶれ玉ふときは、さしもおもはれねど、をりをり君がおも影の、ここなる未成の人物にいとふさはしきときあり。」
 少女は高く笑ひて。「物忘(ものわすれ)したまふな。おん身が『ロオレライ』の本(もと)の雛形、すみれ売の子は我なりとは、先の夜も告げしものを。」かくいひしが俄(にわか)に色を正して。「おん身は我を信じたまはず、げにそれも無理ならず。世の人は皆我を狂女なりといへば、さおもひたまふならむ。」この声戯(たわぶれ)とは聞えず。
 巨勢は半信半疑したりしが、忍びかねて少女にいふ、「余りに久しくさいなみ玉ふな。今も我が額(ぬか)に燃ゆるは君が唇なり。はかなき戯とおもへば、しひて忘れむとせしこと、幾度(いくたび)か知らねど、迷(まよい)は遂に晴れず。あはれ君がまことの身の上、苦しからずは聞かせ玉へ。」

群馬風俗
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2005年12月21日

さはあれどわが見し花うりの目

春潮を眺(なが)むる喜(よろこび)の色あるにあらず、暮雲を送る夢見心あるにあらず、伊太利(イタリア)古跡の間に立たせて、あたりに一群(ひとむれ)の白鳩(しろばと)飛ばせむこと、ふさはしからず。我空想はかの少女(おとめ)をラインの岸の巌根(いわね)にをらせて、手に一張(ひとはり)の琴を把(と)らせ、嗚咽(おえつ)の声を出(いだ)させむとおもひ定めにき。下(した)なる流にはわれ一葉(いちよう)の舟を泛(うか)べて、かなたへむきてもろ手高く挙げ、面(おもて)にかぎりなき愛を見せたり。舟のめぐりには数知られぬ、『ニックセン』、『ニュムフェン』などの形波間(なみま)より出でて揶揄(やゆ)す。けふこのミュンヘンの府(ふ)に来て、しばし美術学校の『アトリエ』借らむとするも、行李(こり)の中、唯この一画藁(いちがこう)、これをおん身ら師友の間に議(はか)りて、成しはてむと願ふのみ。」
 巨勢はわれ知らず話しいりて、かくいひ畢(おわ)りし時は、モンゴリア形(がた)の狭き目も光るばかりなりき。「いしくも語りけるかな、」と呼ぶもの二人三人(ふたりみたり)。エキステルは冷淡に笑ひて聞(きき)ゐたりしが、「汝たちもその図見にゆけ、一週がほどには巨勢君の『アトリエ』ととのふべきに」といひき。マリイは物語の半(なかば)より色をたがへて、目は巨勢が唇にのみ注ぎたりしが、手に持ちし杯(さかずき)さへ一たびは震ひたるやうなりき。巨勢は初(はじめ)このまとゐに入りし時、已(すで)に少女の我すみれうりに似たるに驚きしが、話に聞きほれて、こなたを見つめたるまなざし、あやまたずこれなりと思はれぬ。こも例の空想のしわざなりや否(いな)や。物語畢りしとき、少女は暫し巨勢を見やりて、「君はその後(のち)、再び花うりを見たまはざりしか、」と問ひぬ。巨勢は直(ただ)ちに答ふべき言葉を得ざるやうなりしが。「否。花売を見しその夕(ゆうべ)の汽車にてドレスデンを立ちぬ。されどなめなる言葉を咎(とが)め玉はずばきこえ侍(はべ)らむ。我すみれうりの子にもわが『ロオレライ』の画(え)にも、をりをりたがはず見えたまふはおん身なり。」

人妻風俗
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2005年12月09日

この群は声高く笑ひぬ

少女、「さては画額ならぬ我姿と、君との間にも、その花うりの子立てりと覚えたり。我を誰とかおもひ玉ふ。」起ちあがりて、真面目(まじめ)なりとも戯(たわぶれ)なりとも、知られぬやうなる声にて。「われはその菫花(すみれ)うりなり。君が情(なさけ)の報(むくい)はかくこそ。」少女は卓越(たくご)しに伸びあがりて、俯(うつむ)きゐたる巨勢が頭(かしら)を、ひら手にて抑へ、その額(ぬか)に接吻(せっぷん)しつ。
 この騒ぎに少女が前なりし酒は覆(くつが)へりて、裳(もすそ)を浸(ひた)し、卓の上にこぼれたるは、蛇の如く這(は)ひて、人々の前へ流れよらむとす。巨勢は熱き手掌(たなぞこ)を、両耳の上におぼえ、驚く間もなく、またこれより熱き唇、額に触れたり。「我友に目を廻させたまふな。」とエキステル呼びぬ。人々は半ば椅子より立ちて「いみじき戯(たわぶれ)かな、」と一人がいへば、「われらは継子(ままこ)なるぞくやしき、」と外(ほか)の一人いひて笑ふを、よそなる卓よりも、皆興ありげにうち守(まも)りぬ。
 少女が側(そば)に坐したりし一人は、「われをもすさめ玉はむや、」といひて、右手(めて)さしのべて少女が腰をかき抱きつ。少女は「さても礼儀知らずの継子どもかな、汝らにふさはしき接吻のしかたこそあれ。」と叫び、ふりほどきて突立ち、美しき目よりは稲妻(いなずま)出づと思ふばかり、しばし一座を睨(にら)みつ。巨勢は唯呆(あき)れに呆れて見ゐたりしが、この時の少女が姿は、菫花うりにも似ず、「ロオレライ」にも似ず、さながら凱旋門上のバワリアなりと思はれぬ。
 少女は誰(た)が飲みほしけむ珈琲碗に添へたりし「コップ」を取りて、中なる水を口に銜(ふく)むと見えしが、唯一※(ひとふき)。「継子よ、継子よ、汝ら誰(たれ)か美術の継子ならざる。フィレンチェ派学ぶはミケランジェロ、ヰンチイが幽霊、和蘭(オランダ)派学ぶはルウベンス、ファン・ヂイクが幽霊、我国のアルブレヒト・ドュウレル学びたりとも、アルブレヒト・ドュウレルが幽霊ならぬは稀(まれ)ならむ。会堂に掛けたる『スツヂイ』二つ三つ、値段(ねだん)好く売れたる暁(あかつき)には、われらは七星われらは十傑、われらは十二使徒と擅(ほしいまま)に見たてしてのわれぼめ。かかるえり屑(くず)にミネルワの唇いかで触れむや。わが冷たき接吻にて、満足せよ。」とぞ叫びける。
 噴掛(ふきか)けし霧の下なるこの演説、巨勢は何事とも弁(わきま)へねど、時の絵画をいやしめたる、諷刺(ふうし)ならむとのみは推測(おしはか)りて、その面(おもて)を打仰ぐに、女神バワリアに似たりとおもひし威厳少しもくづれず、言畢(いいおわ)りて卓の上におきたりし手袋の酒に濡れたるを取りて、大股(おおまた)にあゆみて出でゆかむとす。
 皆すさまじげなる気色(けしき)して、「狂人」と一人いへば、「近きに報(むくい)せでは已(や)まじ」と外の一人いふを、戸口にて振りかへりて。「遺恨に思ふべき事かは、月影にすかして見よ、額に血の迹(あと)はとどめじ。吹きかけしは水なれば。」
千葉風俗
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2005年12月01日

交錯する諸傾向

ジャーナリズムの上にこのようにして再登場してきた既成諸作家一人一人の傾向はたがいに錯雑しています。戦前のようではなく、戦争中のままではもとよりなく、さりとて、ほんとうに民主的になろうとし、旧套から脱して人間らしい人間に立ち上ろうとする意欲と力に満ちているというのでもない。
 舟橋聖一の「毒」に示された一種の露悪的な文学の傾向があります。石坂洋次郎、丹羽文雄などもその傾向の作品を示しています。舟橋聖一、丹羽文雄などという作家は、そのときはこういう時代だったんだ、という態度でつきはなして、露悪的に戦時の現実を見て描いているのが特徴です。作家としての自己の人間的探究とか、一定の環境において人間・作家として感じる責任という点は抹殺して、主人公の卑劣さ、劣等ささえ、外部の力のせいであるという他力本願の扱いかたです。これは、過去の文学において、個人の確立がされていなかったことのいっそう複雑にされた反映ではないでしょうか。
名古屋風俗
posted by エモン at 07:05| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月27日

一部の客のマナーがなっとらん

こりゃレイアウト組み直しかもね〜。

耳栓型イヤホン使ってゲームやった事ないなーと思い出して
試しに使ってみたら効果覿面じゃないですか。集中力倍増ですよ。
外部の音を殆ど遮断できる上ゲームの音しか入ってこないのは
使えすぎである。あとは視覚面さえどうにかなれば完璧だろう。
(そういやアストロの画面外の黒枠って人影が映りやすいんだよね)

アヴァロンやってないのにカードが2cmほど溜まりました...。
posted by エモン at 09:29| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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